当たり前を疑う~AI時代を目の前にして

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業界の常識は世間の非常識かもしれない

どんな業界にもその業界内のルールや運用というのがあると思います。

私も、弁護士という業界、さらに広く捉えれば司法という業界に所属しているといえます。

業界内のルールや運用は、それに携わる人が仕事がしやすいように作られていることが多く、一定の合理性も認められることが多いです。

しかし、それが場合によっては世間の常識とはかけ離れることがあります。

それに対する不満があっても、業界内のルールは確たる地位を築いているため、一人が不満を持っても大海の一滴であり、変更をもたらすことは極めて困難と言ってよいかと思います。

裁判は時間がかかり過ぎる

裁判をする期間はかつてと比べると短くなっており、また、諸外国と比べても著しく長いとは言えないようです。

しかし、スマホに代表されるような通信技術が発達した中では、それでも裁判は長くかかり過ぎるという感があります。

裁判をすると、半年から1年は見ておかなければいけませんし、少し面倒なものになるとすぐに1年を超えます。

裁判をする期間が長いと、弁護士もそれに携わる時間も長くなり、必然的に費用も高くなります。

時間もかかる上に、費用も高い。

そうなると、裁判をすることを躊躇うようになり、実際に躊躇う人は多いです。

さらに、裁判をするのを諦めて、適当なところで話し合いで折り合いをつけるしかないことも多いです。

訴訟に持ち込むというのは、その人にとって労力と時間を費やさなければなりませんので、余りお薦めできるサービスではないと実感しています。

また、ゴネ得がまかり通っていますので、嫌なものを見ることも多いです。

司法界はAI時代にふさわしい裁判の在り方を追及すべし

私は、文系人間ですので、AIについては全くの素人です。

自動運転も夢物語ではなく実用化されるかもしれないという時代においては、産業革命に匹敵するほどのパラダイムの転換がこの先10年、20年の間に生じるかもしれません。

そもそも、

  • 裁判を裁判官がする必要があるのか?
  • 裁判を裁判所で行う必要があるのか?

このような根本的な疑問すら生じてきます。

少なくともAIの技術を駆使すれば、もっと早くて安い裁判が実現できるのではないかという期待を抱くのはあながち不合理ではないと思います。

司法界は蛸壺的な議論ではなく、もっと視野を広げて、AI時代にふさわしい裁判の在り方を追及するべきではないかと思います。

 

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